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親ばかになる、そのからくり

春香だより①「親ばかになる、そのからくり」 2005年1月

   私は子供を持つまで、いわゆる「親ばか」というものが 理解できなかった。自分の子供だから情が移って身びいきするというのは解る。又は自分に似ているので親近感を覚える、というのかもしれないが、それなら自分に満足していない人は自分の子供も好きになれない、ということか。自分が苦労して育てたということで、子供のしたことは全て自分のおかげだと自慢したくなるのか。しかし、あまりお利口さんでない子でも、お世辞にもかわいいといえない子でも、その親は「うちの子がいちばんかわいい」と思っているなど、どうも納得がいかなかった。
   それで、妊娠中はひたすら「かわいい子でありますように」と祈り続けた。生まれたての赤ん坊というのはグロテスクなものである。これから子育てが始まるというのに、目の前にいる我が子がカエルのようだったら・・・。いくら「これからかわいくなるから」となぐさめられても、無駄なように思えたのだ。我が子をかわいく愛しく思えれば、二十四時間労働である子育ても、きっと乗り越えられるだろう。どうか、かわいい子が生まれてきますように。それだけだった。
 
   ところが産んでみると、そんな祈りなど必要なかったと気づいた。それどころか、こうも思った。お腹の中にいるのがこの子だと事前にわかっていたら、妊娠中ももっと楽しく過ごせたのに。
   先日、たまった写真を整理しようと、産院で撮った写真を一枚一枚見ていた。まるでしなびた猿のような、こんな生き物に向かってよく「かわいい」などと言えたものだと我ながら驚く。全身しわだらけで、産毛が背中やおでこにまで生え、動きもにぶく、そしてまるで深い考えにふけっているかのようだ。生まれたてどころか、だいぶ年をとっているようにさえ見える。が、正直な話、私は授乳したり寝かしつけたりしながら、「かわいいわ! かわいいわ!」と一日に50回ぐらい言っていたのである。自分の睡眠をとるのも忘れ、彼女の寝顔をうっとりと眺めていた。
   産後は体力が落ちているのに精神は高ぶっていて、平常ではないのだそうだ。思い返せば、あれはホルモンのなせるわざだったと納得がいく。

   さて、3ヶ月も過ぎれば赤ん坊は誰が見ても愛らしくなると聞いていたが、我が子もその通りになった。現在8ヶ月、顔つきもだいぶ変わってきた。が、白状すると、ホルモンの魔法が解けた今も、やはり一日に30回ぐらい「かわいいねえ!」を連発してしまう。
   私なりに考えた、そのからくりを以下にまとめてみる。
まず、一日中一緒にいるということ。これだけ長時間べったりくっついていると、色々な場面での様々な表情を目にすることになる。愛くるしく見える瞬間をいくつも知っているのだ。 
   子供の方も親といると安心し、いきいきとするから、実にいい表情を見せる(現在春香は人見知りをするので、よその人にいくらあやしていただいても仏頂面でいることが多い)。例えば、私と目が合うたび、にこっと笑ってくれるのだが、それがたまらない。こんな単純なことが、もうとろけるように嬉しい。
   しかし何といっても、この子は文字通り私がいないと生きていけないのだ。母乳だけが食糧だった時期を過ぎても、相変わらず私の姿が見えないと泣く。ちょっと他の部屋に行っても泣く。泣き叫んでいても、抱き上げるとぴたっと泣き止む。誰があやしても駄目、母親の私でないと駄目という時があるのだ。肩こり・腰痛があろうとも、つい抱き上げてしまう。一体、私をここまで素直にあからさまに探し求めてくれた人が、いまだかつていただろうか? 「かわいい」なんてもんじゃない、時々よだれが出そうになる(失礼!)。
   私は冒頭に述べた「自分に満足していない」人間だが、「他の誰でもない、この私がこの子の母親だ」ということが身にあまる光栄に感じられることがある。この子の母親に私が選ばれたというわけではないのだが、つい「私でいいの?」と思ってしまう。 
   夫は私の言動を厳しく批判することがあるが、娘は私に対し今のところ「どうして抱っこしてくれないの」と不満に思うことがあるくらいで、寛大どころか絶対母親信仰なのだ。私が近づいていくだけで、退屈していた顔に笑みが満ちあふれ、両手を挙げ狂喜してくれたりする。肌着についた黄色いうんちがいくら洗っても落ちなくても、せっかく作った離乳食を顔に吹きかけられても、毎晩2、3回起こされぐずられても、それでもやっぱり気がつくと「かわいい!」と言っている。よくできたものである。

   そもそも「親ばか」とは謙遜の美徳がある国独特の考え方だろう。それでも「親ばか」という表現が存在するということは、とりあえず日本でも親がばかになることは許されているのだと解釈したい。 
   私は親ばかの仲間入りができて、むしろほっと胸をなでおろしている。