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親バカになる、そのからくり

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 私は子供を持つまで、いわゆる「親バカ」というものが理解できなかった。

 自分の子供だから情が移って身びいきする、というのはわかる。または自分に似ているので親近感を覚える、というものかもしれない。それなら、自分に満足していない人は自分の子供も好きになれない、ということか。自分が苦労して育てたということで、子供の成長はすべて自分の努力の成果だと自慢したくなるのか。しかし、あまりお利口さんでない子でも、お世辞にもかわいいといえない子でも、その親は「うちの子がいちばんかわいい」と思っているだなんて、どうも合点がいかなかった。
 それで、妊娠中はひたすら「かわいい子でありますように」と祈り続けた。生まれたての赤ん坊というのは、グロテスクなものである。これから子育てが始まるというのに、目の前にいる我が子がカエルに見えてしまったら・・・。いくら「これからかわいくなるから」となぐさめられても無駄なように思えたのだ。
 我が子をもしかわいく愛しく思えれば、二十四時間労働である子育ても、きっと乗り越えられるだろう。どうか、かわいい子が生まれてきますように。それだけだった。

 ところが産んでみると、そんな祈りなど必要なかったと気づいた。それどころか、こうも思った。お腹の中にいるのがこの子だと事前にわかっていたら、妊娠中ももっと楽しく過ごせたのに。

 先日、たまった写真を整理しようと、産院で撮った写真を一枚一枚見ていた。まるでしなびたサルのような、こんな生き物に向かってよく「かわいい」などと言えたものだと我ながら驚く。背中やおでこにまで産毛が生え、目は腫れぼったく、全身しわだらけ。動きもにぶく、何だか痛々しい。まるで深い考えにふけっているかのようだ。生まれたてどころか、だいぶ年をとっているようにさえ見える。
 それなのに正直な話、私は授乳したり寝かしつけたりしながら、気でも狂ったかのように「かわいいわ! かわいいわ!」とひたすら言い続けたのである。日に五十回以上言っていたのではないか。自分の睡眠をとるのも忘れ、彼女の寝顔を眺めてうっとりしていた。
 産後は体力が落ちているのに精神は高ぶっていて、平常ではないのだそうだ。思い返せば、あれはホルモンのなせるわざだったと納得がいく。

 その後も、相変わらず「サル」のように見えたこともあるし、髪がはねていたので「ミミズク」のようでもあった。目を閉じてウトウトしている時は、前髪を海苔に見立てて「おにぎり」のようにも見えた。目がまだよく見えず、口をぱくっと開けて乳首を探している様子はエサを待つ「小鳥」のようだった。両手を二つ丸め、ちょこんと添えている時は実家で飼っていた「ネコ」を思い出し、夫と二人で、まるで新しいペットでも飼っているかのような気になったものである。
 かと思うと笑顔でない時は「半魚人」にも似ていたし、おっぱいを飲んだ後カーとかクーとか言うのは「カラス」のようだったし、飲んでいる途中も様々な奇声を発する様子はまるで赤ちゃん「怪獣」のようでもあった。

 やがて三ヶ月も過ぎれば、赤ん坊は誰の目にも愛らしくなると聞いていたが、我が子もその通りになった。現在八ヶ月、顔つきもだいぶ変わってきた。が、白状すると、ホルモンの魔法が解けた今も、やはり一日に三十回ぐらい「かわいいねえ!」を連発してしまう。

( 続きは、こちら )

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