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暑中お見舞い申し上げます


                2014年7月
 暑中お見舞いを申し上げます。みなさま、お元気でしょうか? 
 ブラジルでは、W杯が引き続き開催中ですね。日本代表は、すでに帰国したというのに。夫がテレビ観戦する横で、日々の暮らしをサッカーの結果なんぞに翻弄されてたまるかと、くり返し自分自身に言い聞かせる私です。
 今でも信じられません。最大級の期待と希望を寄せていただけに、この失望感は長いこと残りそうです。いっそイタリア人監督のせいにしたいところですが、ここはやはり同じく一次リーグ敗退が決まった者同士、夫婦でお互いに慰め合えたことがせめてもの救いだった、と思うしかないのでしょう…。

 話を変えます。今年は例年になく、我が家のハーブたちの成績が良いです。私のような大雑把な養育者の手にかかると、ひとつの鉢から2~3種類の草花が生えてきたりするのですが、一体どれが本命でどれが雑草なのかわからないまま、みんなに水をやって育てていました。その結果、べランダに見事な緑の一角が完成。朝も夕も出ていっては観察しています。話しかけたりはできなくても、こうやって頻繁に成長を確かめてやることが、少しはこの子たちの励みになったのかもしれません。たった一日でこれほどの違いが見えるとは、なんとわかりやすい喜びでしょう。今の私にとって、最もお手軽なストレス解消となっています。
 常々思うのは、緑あふれる町の住民として、「自然に親しむ生活」を送りたいものだということです。あちこちにそびえ立つ、あの高い木は一体何という名前だろうと、ずっと気になっていたことを友人に聞いたら、こともなげに「ポプラよ」と教えてくれました。これがあの有名な、というより、むしろごく一般的な「ポプラ」の木だったとは、恥ずかしながらこの年になるまで私は知りませんでした。ほかにも、この近所で見かける、美しい青い線の入ったあの鳥は何だろうと、ある日思い立って質問したら「カササギ」だと教えられました。
 そうなのです。道を歩けば目に入る、多種多様な木々の名前を覚えたい。小川で時折見かける、ペリカンほどの大きさでグレー色をした水鳥の名前が知りたい。耳さえ傾ければ常に聞こえてくる、鳥たちの歌声の判別ができるようになりたい。上空で羽ばたきもせず風に乗る、あの鳥は日本のトンビと同じだろうか。描く輪を目で追いつつ、自分も飛んでいるように体が軽くなる感覚を味わうのもいいですが、自然と親しむにはまだまだ修行が足りませんね……。

 昨年末、散歩を始めたと書きましたが、年が明けてとうとうノルディック・ウォーキングを開始。この近所では飽き足らず、最近では我が州のあちこちに足を伸ばし、とりつかれたように歩いております。住めば都ならぬ「歩けば都」と言いたくなるほど、この州はウォーキング天国であることを実感。ほんの少し移動しただけで、植物の種類、木々の高さ、生える密度、道の状態も(おそらく生息する動物も)異なる多彩な光景のウォーキングを楽しむことができます。
 初めての道に足を踏み入れる時の興奮、帰宅して地図を広げ、歩いた道をマーカーでぬりつぶしてゆく満足感。交通機関のフリーパス保持者として、まずは沿線内を制覇すべく、これからもせっせと出かけるつもりです。
 週末も天気が良ければ歩きたいと、近頃は夫と娘も巻き込んでいます。夫はたいてい賛同してくれるのですが、娘は手強い。素晴らしいところだからと、その気にさせて連れ出し、飲み物のほかにお菓子も必ず持参。たらたら歩いてくるのを見ても急かさずじっと待つ、疲れたと言われれば無理させず休憩、途中で牛や羊がいれば気の済むまで観察に付き合う……。
 ティーンエイジャーになる前に、少しでもウォーキング好きに仕立てておこうというプロジェクトです。成功するかどうか、こちらの忍耐力が試されるところです!
 
 この夏は、両親が金婚式祝いにスイスにやってきます。それで、帰国はやめにしました。
 夏休みの前半は夫の実家に帰省、5年ぶりのイタリアの夏です。ローマ在住のみなさま、お会いできたら嬉しいです。
 それでは、また。どうか、お元気で!   郁世より

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1月3日 珍しく、家にいた(7)「ドイツ語なんて、キャベツ!?」

(前回からのつづき)ドイツ語に関して、この冬休み、春香にはちょろっと読書をさせただけで、あとは特に何もしなかった。ずっとイタリア語漬けで、私とは日本語をしゃべっていた。イタリア語は多少上達したかもしれない、少しは新しい語彙を獲得したかもしれないが、これから学校が始まるのだから今はドイツ語に頭を切り替えてほしい。
 夫はそういった点について、何にも考えていないのだとよくわかった。子どもの言語について、両親が直接サポートできないのなら、せめて一緒に映画を鑑賞するという機会をもっと作ってもいい。しかし夫に言わせれば、自分が楽しめないなら意味がないのである。
 夫には、娘が授業を理解できなくて困っているのではという懸念は一切ないらしい。ローマ人の夫の、この楽観主義は時にあきれるほどである。もちろん、我が子の可能性を信じることは大事だが、家で何もしなくていいとは絶対に思えない。家庭でのサポートがあってこそ、楽観も初めて許されると思う。よその家とは違って、我が家はマイナスからのスタートだという、ドイツ語のハンディについてもっとよく認識してほしい。私だってできることには限界がある、いかなる場合も日本語でしか説明してやれないという矛盾はあるが、だからこそ私に任せきりという夫の態度が時として非常に腹立たしい。
 さらに「ドイツ語なんてキャベツの言語だよ(何の価値もない言葉、とでも訳すべきか?)」などと春香の前で言うのはやめてほしい。たとえ本当にキャベツだと思っているにしても、ドイツ語が学習言語である春香にとって、そんな言葉はマイナスにしかならない。ドイツ語から逃れられない状況にある春香に、わざわざそんな意見を聞かせる必要があるだろうか? 

 こんな私の苦悩とは裏腹に、夫は帰省中ますますイタリアへの望郷の念を深めたようなのだ。スイス人社会には人々の「会話」がないということに、もう堪えられなくなっていると話していた。確かにこれは言語レベルの問題ではない、それ以前の、国民性の問題である。イタリアにいると、道端でもバスの中でも、友達の友達と、親戚の親戚と、あるいはまったく知らない人とまで、自然に会話が生まれる。スイスにいると、そんな機会は確かに少ない。挨拶だけは欠かさないが、それ以上に発展することは稀である(私のドイツ語レベルが低いということもある。夫は英語で堂々とおしゃべりを始めるので。私といえば多少ドイツ語を学習したというプライドが邪魔して、どうしても英語に逃げることには抵抗がある)。
 日本人の私は、道端で会話が生まれなくても、それほど気にならなかったのだが。イタリアでは、買い物帰りにご近所さんにつかまり、忙しいのに身動きがとれずイライラするなんてことがよくあったので、どこも一長一短だと思う。しかしイタリアに生まれ育った夫は、いつも通りに挨拶しようとした時でさえ、気づかないふりをされることがあると嘆く。
 日本人だって、急いでいる時や顔を合わせたくない時などに、知らんぷりをすることはあるんじゃないかな…と思うので、私は夫ほど絶望することはないのだが。
 さらに私たちは言葉ができない分だけ、会話が生まれそうな場に居合わせる確率も少なくなるわけで、夫はますます違和感、疎外感をいだくことになるのだった。

 もしイタリアに住むとなれば、娘の宿題を私たちが問題なくサポートしてやれる。私の伊和辞典も和伊辞典も、まだ手元に残してある。今はネットだって相当使える。
 かといって、イタリアに戻るには、夫の仕事が見つからない。…そして、嗚呼、お義父さまとお義母さま、ならびにご親戚一同が。少しでも距離を保っておきたい私としては、娘の教育問題をふまえても、イタリアに引っ越すというのはなんとも悩ましい選択肢なのだ。
 いや、私が決めるわけではないから、悩まなくていいか。最終的には、夫が決めるのである。こんなことを悩むだけ、時間の無駄だ。
 せいぜい今は、スイスでの自由な生活を楽しむことにしよう。と、私に関しては思う。……しかし、春香は。(おわり)

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1月3日 珍しく、家にいた(6)「お風呂とスタンド・バイ・ミー」


 (前回からのつづき)夕方、食事の支度が早く済んだので、春香と入浴。私も春香も、シャワーより断然「お風呂派」である。二人で浴槽に入るのはすでに窮屈なのだが、一人では危険かなと思うし、一緒に入りたいと言われれば、やはり私も喜んで応じてしまう。
 クリスマスプレゼントに4種類ものバスフォーム(泡風呂)の素をもらったので、早く使ってみたかった。春香が泡で遊べるのでお気に入りとなり、現在は常備している。
 泡風呂なら、よほどの汚れでない限り、その泡で体をこすって洗えるので便利なのである。またお湯の保温効果もあるようで、少ないお湯でもちゃんと体が温まるという利点もある。昨日は春香のリクエストで、アイリス・ブルーという泡を入れてみた。鮮やかな水色の液体で、一体どんな匂いかと期待したわりには、あまりはっきりしない、これといって特徴のない匂いだったが。
 浴室の壁には、漢字表が貼ってある。現在は3年生の漢字200字である。少し前までは、お風呂に入るたびに指差して漢字を教えていた。教育効果が望めるのなら、どんな小さな機会も逃すまいとかつては思っていた。
 いつ頃からか、そんなことも忘れてしまい、湯船に浸かったら、私はマッサージやツボ押しにいそしむようになってしまった。そして春香は相変わらず、シャボン玉を作ったり、泡を集めて遊んだりしている。
 一日がんばった日の夜はリラックス、というのもいいだろう。もうすぐ一緒にお風呂に入ることなど出来なくなるのだし。

 夕食は、映画「スタンド・バイ・ミー」のDVDを観ながら食べた。ふだん、我が家はテレビのないサンルームで食事をしている。たまに見たい番組がある時だけ、テレビのあるリビングで食べるのである。昨日はまだ休暇中ということもあり、珍しく夫がDVDを観ながら食べようと言い出し、私たちももちろん同意した。
 DVDの言語は、英・伊・仏・独語の中から選べた。私も夫ももう何度も観た映画なので、初めて観る春香にとっていちばん理解しやすいドイツ語にするのがいいと、私はドイツ語を提案した。しかし「ドイツ語じゃわからない。イタリア語にしろ」と夫は言う。
 「冬休みはずっとイタリア語を話していたけど、もう学校が始まるんだから。春香の頭をそろそろドイツ語モードに切り替えないと」と私は断固ゆずらなかった。「あんたはこの映画、もう何度も観たんでしょ!」と叱りつけて。私だってどうせ解からないだろうとは思ったが、ドイツ語の字幕もつければ何とかなるかなと楽観した。私の理解度なんかより、娘の学習効果のほうがはるかに重要なのだ! この選択肢の中にもし日本語があったとしても、私はドイツ語と主張しただろう(夫は日本語も解からないし。いや、ドイツ語に比べたら日本語のほうが理解度は高いかも)。
 さんざん言い合った結果、夫が譲歩してくれ、ドイツ語になった。が、やはり夫が解からなくて退屈し、あまり集中して観ていなかった。夫が何かしゃべろうとするたび、春香にしーっと制されていた。これでまた、夫のドイツ語嫌悪は加速したに違いない。
 春香は真剣に観ていたが、時々「話すの速い」と言っていたので、聞き取れていない部分もあるようだった。私はといえば、耳と字幕との両方から頑張ってみたけど、やはり3割程度しかわからなかった。初めて観たのなら、きっと1割もわからなかっただろう。(つづく)

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1月3日 珍しく、家にいた(5)「明けまして・・・!?」

(前回からのつづき) 家を出るのが遅かったので、子ども会は1時間ほどで終わりの時間となった。それでも遊べて満足したのか、機嫌を直して帰ってきた。春香の体は熱く汗ばんでいたので、何をしたのか聞いたところ、帰り際にまた鬼ごっこをして盛り上がったという。冬休み中なので、Aちゃん、Mちゃんなど、小学生の子が珍しく何人か来ていて、幸い一緒に遊ぶことができた。
 すでに小さい子同士で盛り上がって遊んでいて春香が入れないような時も、私が一緒にいれば相手をしてあげられるが、一人で行くとなると手持ち無沙汰になることもあるらしい。退屈しているなら帰ってきなさいと言っているが、そんな時はたいてい隣の家に住むスイス人のお友達の家に遊びに行ってしまう。
 学校にはいつも親なしで行き、たとえ誰も遊び相手がいなくても帰宅するわけにはいかない。ましてや子ども会のような自由参加の集まりに、私が気を揉む必要などないのだが。春香がいだいている「日本国および日本人に関する幻想」をもう少し維持したくて、「子ども会でお友達と楽しく遊べたか」など些細なことを気にしてしまう。ふだん学校に行っている時は、どうせ私には把握できないからと、始めからあきらめて本人に任せているのに。そして本人はちゃんと誰かしら見つけて一緒にいるようで、心配ご無用なのに。三者面談では「いつもニコニコしていて、誰とでも仲良くできますね」と、幼稚園の頃からそれだけは一貫してお褒めいただいているのに。

 帰宅した春香に、「ちゃんと『明けましておめでとう』言った?」と聞いてみた。「誰も言わなかったから、はるかも言わなかった」と答えるので、思わず「えーーー!」と大声をあげてしまった。
 「そういうことは、自分から言うの! あーあ」と口惜しがってしまう。遅れて行ったので、ほかの人たちが言い交わす場面も見なかった。そして周囲は春香の年齢を考慮し、遠慮をして、誰も言わずにいたのだった。
 「そこで春ちゃんが自分から『明けまして・・・』って言ってたら、すごく褒められてたよ!」そう言うと、春香は「だってお母さん、そんなこと言わなかったじゃん」と口をとがらせた。「誰も言わないから、いいのかと思った」! 
 子ども会が、なぜ春香にとって居心地がいいかといえば、それは春香が唯一の小学生であるため、何をしても「えらいねえ、お姉ちゃんだねえ」と褒めてもらえるからなのだ。ほかに比較の対象となる子がいないので、絶対的に春香が有利なのである。
 そうはいっても、社会生活における挨拶の重要性は、やはり春香もいまだ理解をしていない。「指摘されなければ黙っていていい」くらいのものだと考えているのであった。(つづく)

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