スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

笑った、笑った!

 好きだけど夢中になれない赤ちゃん

KIF_0480_convert_20120924155338.jpg

 赤ちゃんを端から見ているのは好きだったが、あやすのは苦手だった。じっと見つめられると、何もかも見透かされているようで落着かない。退屈させていたらどうしようと、責任を感じたりもする。しかも「ばあ!」と両手を広げながら赤ちゃんの反応を待つ時の、きまりの悪さ。横で誰かに見られていたりすると、「赤ちゃんは好きだけど、うまく可愛がれないの」と戸惑っている自分が見破られそうで恥ずかしい。いっそ無関心を装っていた方が気が楽だった。赤ちゃんに夢中になり、周囲がまったく目に入らなくなるという感覚を経験したことがなかった、ということもある。
 二十年以上も前の話だが、友達のむうさんに女の子が生まれ、皆で遊びに行った時のこと。仲間の中で、特にあきちゃんの可愛いがりように私は圧倒された。ずっと赤ちゃんの相手をしていて、全く私たちの会話に入ってこない。いつまでもうっとりと見入っている彼女の優しい目つきを今もよく覚えている(ちなみに、あきちゃんとはイラストレーター「こうのあき」。赤ちゃん好きが昂じて、現在なんと四児の母!)。

 我が子と初めて目が合う

 時が過ぎ、自分の子供が生まれた。
 初めて知ったことだが、生まれたての赤ん坊というのは母親とさえ視線を合わせない。たまたま目が合ったとしても、何故かすぐにそらしてしまうのだ。
「春香ちゃん!」私は注意を引こうと手を振りながら、日に何度も呼びかけた。「お母さんよ! お母さん、ここよ!」彼女の視界には入っても、目を見てもらえない。命綱である母乳を飲む時でさえ、乳首が探せなくて口を開けたまま首を振り、うろうろしている有り様だった。もちろん表情などほとんど変わらない。それでもこっちは常に必死で観察しているから、ごくわずかな変化も読みとって一喜一憂していたのだが。

 最もわかりやすかったのは、眠りにつく時に見せる微笑みだった。生理的微笑というのだそうで、目を閉じたまま、口の端をかすかに上げるのだ。確かにそれは笑顔に見えるので、うちの子は生まれて三日しかたっていないのにもう笑う、と有頂天になってしまった。
 あの頃の春香が夢中になっていたものといえば「おっぱい」をおいてほかになかったから、授乳後うとうとしながら口の端を上げているのは「この甘い味、たまらないね」「とろりとして、あったかくって」などと言っているように思えた。
 
 そんなある日、春香と初めてしっかり目が合った。三週間がたとうとしている時だ。視線がこちらに向けられた瞬間、ドキッとしてしまったのである。自分の子に見られたくらいで、まるで初恋のように心臓を揺すぶられるとは。
 その後も、母親だと認識してもらいたい一心で、ひまさえあれば彼女の視線の方に顔を持っていき、手を振り、語りかける日々が続いた。
 
 本当に笑う?

 一ヶ月になる頃、私は体調をくずし寝込んでしまった。世話に来ていた両親や義父母が去り、お客さんラッシュも過ぎて、緊張の糸が切れたのかもしれない。下痢が悪化し、とうとう何も食べられなくなり、授乳以外の一切の世話を夫に任せて床についた。
 その頃である。夫が「今、笑ったような気がする!」などと言い出した。現場を見ていないので半信半疑だったが、何度もそう言われ私はあせり始めた。そんな、母親はこの私なのに。私だけに笑ってくれるんじゃないの? 夫に「マンマは、ただのラッテリア(牛乳屋さん)!」とからかわれても、返す言葉がなかった。
 三日後、私は何とか起き上がれるようになり、夫は大学に戻った。私は巻き返しをはかるべく、春香と遊ぶことに励んだ。目を見て語りかける時は、夫の言うように「は・る・か」とゆっくり発音してみた。また顔を近づけ、お腹をくすぐってもみた。
 その結果、ほんの二秒ほどだが、こちらを見て「にいっ」と笑ってくれたのだ。私は息をのみ、すぐさま夫に報告の電話を入れた。
 そのうち、私がちょっと一息入れると、「もっとやって」とばかりにぐずるようにまでなったのである。
 
(この続きは、書籍にてどうぞ)

にほんブログ村 子育てブログ マルチリンガル育児へ
にほんブログ村 ←ま、間違えてました。こちらにクリックを お願いいたします!

スポンサーサイト

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。