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行ってみたい国はヤーパン(日本) その2



(前回からのつづき)
 
 数年前、箱根の「湯ネッサン」に行ったら、客の大半が中国人だったのには驚いた。いや、実際は二割程度だったろうが、言葉や顔つきが違うので目についた。まさか箱根で、これほど多くの中国人に会うとは。湯ネッサンがいつのまにか、中国人の間で人気スポットになっていた! 
 こちらに戻ってきてその話をしたら、友人も同じ経験をしたと、顔をしかめて言った。そう、そう!せっかく日本に帰って温泉に行ってもさ、中国人に囲まれちゃうの。里帰りの時くらい、日本人といてリラックスしたいよねえ……!
 しかし、私たちはここスイスで、観光どころか暮らしているのである。スイス人に近年ますます排他的傾向があるのも、この心理と通じるものがあるのではないだろうか。
 あの日、湯ネッサンで、私は別に中国人から何か迷惑行為を受けたわけでもなかった。ただ単に箱根でかつてなかったほど多くの外国人を目にして驚いただけである(箱根でほとんど会ったことがなかった。うちの夫くらいか)。
 受け入れ側は、この経済効果に喜んでいるはず。そして私も、日本の観光地がネットのおかげで世界中に知られ、ようやく観光国として認識されつつあることに喜びを感じずにはいられない。近年は京都や東京のみならず、金沢や秋田などの地方までが注目され、さらにツアーでなく個人でまわる外国人も増えているという! 若者が見捨てて過疎化した地方が、まさか外国人によって活気をとり戻すとは有り難い。温泉の良さをわかってくれるというのも、これは万国共通なのだと再認識できてまた嬉しい。日本は治安がよく、食事も安い、種類が多い、おいしい。さらに円安で何でもお買い得ときている。みなさん、日本の良さにやっと気づいてくれましたか、と言いたくなるのだ。受け入れ側も、英語は苦手だの、外人さんお断りだの言わないで、どうか笑顔で受け入れていただきたい(もうそんなこと言う人いないのかな)。 

 山奥の秘湯や変わった博物館など、「外国人の注目を集める日本の観光スポット」というネットの記事が私は大好きだ。どうしてこうも好きなのだろう。欧州に住んでもう20年近くになるが、日本出身であることで肩身の狭い思いでもしてきただろうか。日本が行ってみたい国として世界の注目を集めていることが嬉しくてたまらない。今までは何について話しても関心を寄せてもらえなかったのに、今は本気で日本行きを考える人が増え、スシやゲイシャ以外のことについても質問されるようになったのである。
 「外国人に人気のスポット」なる動画を私も大いに楽しみ、即座にネットで調べたり手帳に書き留めたりする。私の視点も外国人化してきたのか。次回の里帰りの際に夫と娘に喜んでもらいたくて、リサーチにも力がはいる。
 最近は旅行サイトも乱立しているから、海外にいながら簡単に情報が手に入る。日本はなんと、お楽しみに満ちあふれた国なのだろう!!時間の浪費とは知りながら、この、あれこれ迷う時間が本当は楽しいのだ。帰国はまだまだ半年以上先の話なのに……。

 やっぱり私にとって、行ってみたい国は日本。


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行ってみたい国はヤーパン(日本)



 先日のドイツ語会話クラスで出た質問。あなたが行ってみたい「夢の旅行先」はどこですか?
 各自が考え、順番に行きたい国名を発表することになった。
 
 私は時間とお金があるなら、まず思い浮かぶ渡航先は日本で
ある。が、ここで里帰りの話をしても仕方ない。
 となれば、やはり一度は中国に行ってみたい。それも北京や
上海ではなく、桂林やチベットあたりに強く魅かれる。クラスメイトにチベット人を良く思わない中国人女性がいるので、そこはあえて言わないが。
 もうひとつ挙げるなら、南アメリカのどこか。神秘的な古代文明や、非日常の極致というイメージがある。あまりの遠さに、本気で行こうと思ったことがない(そんな時間とお金があったら日本へ
帰りたい)。
 
 その日の出席者は8人、出身国はアジアと欧米が半々という
構成。先生はスイス人である。
 それで、彼女たちはどこへ行きたいか。「ニュージーランド」や
「カナダ」などの回答が出る中、なんと 「ヤーパン(日本)に行きたい」と答えた人が3人もいたのである。中には人の回答を聞いて
思い出し、「そういえば私も行きたいわ」と言い出す人もいて、
計4人、実に半数が、日本旅行を夢見ていると判った。
 これには驚いた。日頃、「スシはおいしいわよね~」とニコニコ
言ってくる英国人のおばさんならわかるが、今まで一言も日本について聞いてきたことのないベトナム人女性までが、日本への
想いを内に秘めていたとは。
 これはどうやら、最近の「クールジャパン戦略」が実を結びつつ
ある証拠ではないか。最近は、スイスにおける和食の認知度が
格段に上がり、もはやスシだけに留まらない。テレビでも、日本を取り上げた番組は増えているような気がする。

 私は安倍政権の「観光立国政略」だけは高く評価し、注目もしている。「妻に連れられ来日し、日本びいきになった」という人は周囲に多いのだ。日本は観光国として立派にやっていける資源が少なくないのに、治安が悪化するという不安やら何やらで、歴代政府は重い腰を上げようとしなかった。
 観光資源とは、なにも最新技術を駆使した電化製品や築地の
新鮮なスシ、はたまた京都のしっとりとした風景の中の雅なお寺
ばかりではない。うちの夫曰く「日本人そのものが面白い」。日本人の仕草や言動はまるでアニメの登場人物のようで、日本では
アニメの世界に入り込んだような錯覚に陥るのだという。
 別にそれを誇りに思うわけではないが、要するに自分たちの国から地理的文化的に遠く離れているために生じるギャップや、
おもてなしなど日本独特の気遣い、そういったことも観光資源に
なり得るのでは、と思う。
 (つづく)


日本もいいですが、スイスはやはり観光大国です……最新記事はこちら↓
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※写真はドイツ・デュッセルドルフの和食レストラン弁慶の、おせち料理です。久々のおせち、おいしかった~!!



恐怖のうんどうぶそく

 正真正銘の「熟睡」を私は、たった一度しか体験していない。子どもの頃バレエを習っていたが、その合宿でのこと。寝ようと横たわって目を閉じ、その直後に目が覚めた。と、それが朝の訪れだったのである。
あれがおそらく 本物の熟睡だったのだろう。
 あれほど強烈な体験は、あの時をおいて二度とない。夜を 瞬時に
飛び越え、気がつけば朝が来ていた。ぐっすり眠るということは、なんとすっきりした幸せだろう。
 私たちの中には二種類あって、苦労せず入眠できる者と、なかなか
寝つけない者とがいる。たとえば私の姉が、前者である。姉は夜に帰宅すると、化粧も落とさず寝入ってしまうことがあり、私はその様子を批判の目で眺めつつ、実はうらやましかった。週末など、姉はそれこそ
一日中眠っていられた(食事時を除く)。さらに夜になっても難なく寝ていた!  
 私はといえば、週末でも朝になれば目が覚めてしまう。起きなきゃと
思いつつウトウトしながら何時間も過ごす、あの心地よさは私だって知っている。が、病気にでもならない限り、そんなまどろみさえ私には難しい。

 4歳下の弟が生まれるまで、どうやら私は両親と 寝ていた。父親の
いびきを夜通し聞いていた記憶があるので。一定のリズムとメロディーで構成された父のいびきは、パターンがいくつかあり、同じ順序でくり返される。することがないので、じっと耳を澄ましていたら 一連のいびきを
すっかり覚えてしまった。暗闇の中をひとりで「次はガーガーだ」とか「次はピン!だ」などと考えていたのである。
 弟が生まれ、私と姉は上階の二段ベッドで寝ることになった。眠れないと訴える私に、母は目をむき、顔をしかめて言った「おまえ、それは運動不足だよ」。
 というのは私が、ぬいぐるみと遊んだり絵本を制作したり、室内遊びが好きな子どもだったから。「お外に行って 元気に遊びなさい」と
よく言われた。母の歯がゆい気持ちが今ならよくわかるが、そう言われたところで私は変わらなかった。
 「うんどうぶそく」という言葉を聞いたその時、意味はわからぬまま、なにやら恐ろしくて身震いしたのだけれど。母はまるで怪奇現象について語るような口調で 言ったのである。

 それから成長し、授業中まで寝てしまった時期もあったものの、概して私は眠れない人間であり続けた。
 夜中に目が覚めるのもまた嫌なものである。夫には初めのこそすれ、夜中に「眠れないの」と甘えることもできた。今は話しかければ嫌がられる。ちょっと動いただけで怒られる。私は何故か3時に目覚めることが多く、3というデジタル数字を見て絶望する。そして考え事を始めてしまい、もう1時間もたってしまった!と、時刻を確認しては焦りをつのらせる。
 そんなわけで、娘(10歳)がたまに眠れないと言って夜中に来ると、私はつい布団に入れてしまう。娘は決して眠りの浅い子ではない。それでもたまに暗闇が怖い、一人では寂しいと訴えてくる。長かった添い寝の弊害だろうか。
 添い寝の経験が一切ない夫は、自分のベッドで寝ろ!と容赦ない。やむを得ず私が娘のシングルベッドに行き、一緒に寝てやったりしている。

 話を戻す。そんな私が、安定した睡眠を得られるようになったのは、一昨年、朝型人間に生まれ変わってからだ。8時間睡眠にこだわらなくていいと知り、私は6時間半眠れば充分だと発見したことも 非常に大きい。
 それでも 様々な原因により、眠れない夜が たまにある。すると たちまち、過去の絶望的な気持ちがよみがえってくるのだ。先日など娘が
体調をくずしたため、私も在宅を強いられた。運動不足となり、案の定、夜中には目が覚めてしまった。
 短眠人間となった今の私には、もはや昼間に体を動かすこと以外、道は残されていない。薬やハーブティなど、子どもの頃には望み得なかった秘密兵器もあるにはある。が、運動は熟睡以外の効果も期待できる点がいい。外出が無理とわかった時点で、夜が来ないうちに、あの絶望感を思い出そう。こういう時こそ、後回しにしがちな掃除機やモップがけをしたり、あえて地下へ洗濯ものを干しに行ったりして、せいぜい体を動かそうと思った。

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ティーンの時代と、佛手瓜                 



 毎週月曜は、教会主催の無料ドイツ語会話クラスがある。一言も発言できない日もあるが、めげずに毎週参加している。私にとっては話すことより、ドイツ語環境そのものが大事だから。聞こえてくるドイツ語は外国語なまりでも、司会進行役の先生はスイス人。ドイツ語が飛び交う空間に身をおく、そんな時間を少しでも多く持ちたいのだ。それが無料で近所なのだから、実に貴重な場なのである。

 先日は先生が「自分の青春時代について話しましょう」と提案した。青春時代と訳すとなにやら照れくさいが、要するにティーンエイジャーの頃はどうだったかを話せばよかった。

 私は中3の時がいちばん楽しかった、クラスの仲間に恵まれて、などと話した(言い訳するようだが、ドイツ語のレベルが低いので、話す内容はどうしても稚拙になる。また人数が多いと一人一人の時間は限られ、簡潔に話すことが要求される)。
 となりのトルコ人女性は、大学まで、しっかり学んでしっかり遊んで楽しかった、と言った。彼女は口を開けば的を得ていないことが多いし、トルコ人社会に閉じこもって毎日育児しかしていないように見える。彼女が青春を謳歌していたとはどこか意外だったが、過去には今と違う生活があったとしても、何の不思議もないわけである。
 次に韓国人女性が、中学ではバスケットに明け暮れた、しかし才能がないとわかって、高校・大学時代は勉学に専念した、と述べた。
 隣のタイ人女性の番が来た。彼女はクラスでいちばん若く見えるし、ふだんは笑顔が絶えない。だが先日は精神的にどことなく不安定なようにも見えた。自分の青春時代は、仕事だったと語った。13歳まで学校に行ったら、あとは薬局に就職して、毎日顧客と話していた、勉強も遊びもなかった、裕福な家庭しか進学できないのだ、と。

 困惑の空気が広がる中、先生は表情を変えずに淡々と会を進行させる。
 次にオーストラリア人、アメリカ人と続き、二人ともスポーツに打ち込んだと言った。実際、二人とも体育教師の経歴があり、学生時代も似たような生活を送っていたらしい。
 その隣の中国人が、またもや「16歳まで働いたら、就職した」と述べた。住んでいた町には仕事がなく、都会に出て行って工場で働いた、夜のシフトの日はつらかった、しかし成人してからはダンスに夢中になり、踊るのは楽しかった、と。
 次も中国人女性だが、育ったのはカンボジア。彼女はもともとベトナムにいて、その後フランス、スイスと移民の人生を歩んできた。その原因について聞いたことはなかったが、やはり政治難民だったのである。逃亡の際に、野外で14日間も過ごしたこと。青春時代も何もなかったのだ、命からがら生き延びてきただけで。

 それにしても、この最後の中国人女性はつらい過去があるわりに、性格が非常に明るい。よく発言もするし、自分の考えを他人に押しつける傾向さえある。彼女が出席の時といない時とでは、クラスの雰囲気がまるで違う。中国に住んでいないにもかかわらず、中国人気質、文化、および言語まで身につけている。
 これはご両親の努力の賜物だろう。果たして日本に住んだことのない日本人で、ここまでしっかり日本人になれた人が一体どれだけいるだろう。中国人、おそるべし。彼女を見ているとそう思う。

 帰り際に彼女は、「佛手瓜」というテニスボール大の緑の野菜を4つもくれた。私はお金を渡そうとしたが、庭でとれたのだからと、断固受け取らなかった。
 佛手瓜は皮にトゲが生えていて調理に苦労したが、やわらかく煮たら味がよくしみ込んで、大変おいしくいただくことができた。



 みなさまへ
 
 あった出来事を即日ブログにする(日記から拾ったりせずに)という、皆が当たり前にやっていることを私もやりたいと常々思っておりました。即日というのはやはり無理でしたが、これも文章修行だと思って、今後もたびたび挑戦したいと思います。 

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「たびねす」の記事が更新されました。今回はチェコ編です。写真がなかなかうまく撮れたと思います。よろしければご覧ください!            平川 郁世


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テーマ : 日常のひとコマ - ジャンル : 育児

イタリア語を話しなさい!




 ついに来た。義父母が私たちに日本語禁止を言い渡す日が。
 いや、正確には「禁止」ではない。義父は言った。これは強制ではないよ。あくまでも、こうした方がいい、という私の意見だ。イタリアでは、その言葉がわからない人がいるのに話し続けるのはマナーに反する。もう大きくなったんだし、ほかの人がいる場ではイタリア語を使うべきなんじゃないか。
 一般論として、私は素直に納得した。イタリアの街角で娘と話していると、知らない人がいきなり「イタリア語で話しなさいよ」と忠告してくる。秘密でも悪口でもない、内容にまったく問題がなくても、未知の言葉を発している人たちというのはやはり違和感を覚えるのだろう。スイスと違って、イタリアは外国語が苦手な人が多いのだ(おかげで、イタリアに移住した外国人はすぐにイタリア語を覚えてしまう)。

 しかし、私の体内の血は逆流を始めた。私が何故、義父母の言葉に素直に従えないか。それは彼らが、夫婦の会話をアルバニア語で行っているからである。二人とも生粋のイタリア人だが、生まれ育った村はかつてアルバニア人が植民地化したところで、言葉だけは今も残っている。方言ではない、イタリア語とは別の言語である。そう、彼ら自身が私の目の前で日常的に外国語をしゃべっていながら、自分のことは棚に上げるからなのだ。

 今回わかったことがひとつある。なんと義父は、孫のイタリア語レベルが不満なのである。彼に言わせれば、娘の今いる状況なら、ドイツ語日本語イタリア語の3カ国語を、同じようにきちんと話せていないといけないのだった。これには驚いた。
 普段から親子でドイツ語の単語を調べつつ宿題やらテスト勉強やらしている中、日本語学校に週1回通い、夜と週末はお父さんとイタリア語(一般的に父親の言語は習得すら困難なことも多いのだが、うちの夫はとにかくよくしゃべる!)。こういった苦労の末、娘は従妹ととりあえず遊べるし、祖父母ともなんとか意志の疎通ができているという「幸運」を、彼はまるで理解していない。さらにスイスにいても、毎晩の夕食時には私も娘にイタリア語で話すよう、提案してきた。

 冷静になって話し合うことが苦手で、どうしても感情的になってしまう私だが、我が家では一人一言語という原則を守っていることを義父に伝えた。私は日本語しか話さないことによって、娘も混乱することなく覚えられる。私が日本語訛りの、正しくないイタリア語を話したところで、何の得にもならないと。
 すると義父母は急にむきになり、異口同音に私のイタリア語を褒めだした。あれほど「あなたのイタリア語は冠詞がない」と嘆いていたのは、一体なんだったのか(義母は元イタリア語教師)!



 困った私は、考えに考え、結局こうした。食卓では娘と離れて座り、話す状況を作らない。もう娘のことは構わないと決めたのである。
 娘にとっては日本語のほうが楽だから、私が横にいればつい日本語に流れてしまう。これはもう離れるしかない。食事中だけでもこうすれば、一応義父に従ったことになるだろう。あとは今まで通りでいいや。
 離れて座ったにもかかわらず娘は、無意識に私に話しかけてきて、イタリア語で言い直すことが数回あったが、やがて慣れた。娘には断固として日本語以外使いたくない私は、もう娘の言動に構わず、食事に集中した。
 その後も義父母は相変わらず、私の前でもアルバニア語を話し続けた。私は気づかないふりをした。3日たって、予定通り、私は一人で先にスイスに戻ってきた。今頃、娘はイタリア語漬けになっていることだろう。うるさいお母さんがいなくなって、思いっきりジェラートを食べたり、夜更かししたりしているらしい。

 それにしても気づかなかった。娘に日本語を通すのがスイスなら許されるというのは、私がドイツ語をまともに話せないからだったのか。イタリアにいたら、「あなたイタリア語できるじゃない、どうして話さないの」となるわけか。
 それにもうひとつ、気づいたことがある。娘に外国語で話しかけるなら、もっと小声で遠慮がちに話すべきだった。私はきちんと教えたいがために、常にはっきりと発音し、ひとつでも多くの言葉を聞かせようと努めてきた。が、日本語を解さない周囲の人からすれば、こんなことは耳障りなだけである。そうでなくても私は声が大きいので、これはまったく配慮に欠けていた。私ときたら、10年たってようやく気づくとは。

 そして娘は、イタリアから帰った翌日に今度は日本から祖父母を迎えるのだ。本当にお疲れさま。いや、本人は意外と疲れていないのかも。生まれた時から、常にこんな環境にいたのだ、この子は・・・。


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